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人はどれくらい道徳が客観的であると信じているのか?(Goodwin, G.P., and J.M. Darley. 2008)

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道徳が存在するのかしないのかというのはメタ倫理学の問題だけど、道徳が存在するのかしないのかを人がどのように考えているのかについては心理学や実験哲学の問題。今回、紹介する論文は以下のもの、

 
Goodwin, G.P., and J.M. Darley. 2008. The psychology of meta-ethics: exploring objectivism. Cognition 106: 1339–1366.
 
この論文では次のことが問題となっている。
1.人は道徳に関する客観主義者もしくは主観主義者のどちらになる傾向があるのか。
2.科学的事実や嗜好のような種類の言明と並んで、人は倫理的言明の客観性をどのように考えるのか。
3.いかなる要因が個人における道徳の客観性の程度の違いを予測するのか。
 
これらの問題に答えるために、この論文では、実験参加者が同意した倫理的な問題に他の人が同意していないという状況において、実験参加者はどのように応答するのかを調べるという方法が採用されている。
 
なぜこのような方法が取られているかというと、
1つ目に、単純に人々に客観主義者か主観主義者かを聞くのは不正確である。
2つ目に、客観主義と主観主義を区別する単純な定式として次のものがある。
ある人が特定の倫理的な主張を真であるとし、倫理的な不一致の状況を少なくとも一方が間違っていることを必然的に伴うことであると考えるのだとしたら、彼は客観主義者である。対して、彼が代わりにどちらも間違っていないとするなら、彼は主観主義者である。(Smith,1994; Snare, 1992).
という理由がある。
 

実験1

1つ目の実験はプリンストン大学の50人の学生に行われた。
①最初に26の言明に対して同意か不同意かを6件法で尋ねた。
また、26の言明は4つのカテゴリーに分かれている。
 
・事実的な言明
例 ボストンはロサンゼルスよりも北にあるのか?
・倫理的な言明
例 寄付することは道徳的に善い行為か?
・社会的な慣習の言明
例 パジャマを着て会議に出向くことは間違った行動か?
・好みの言明 
例 『ダヴィンチコード』の著者よりもシェークスピアのほうが良い作家か?
 
②次にそれらの言明が真であるか、偽であるか、それとも単に意見であるかを尋ねた。
 
③そして、実験参加者に他の人が実験参加者が同意した言明に対して同意していないということを伝え、それをどのように解釈するかについて次の4つの選択肢から尋ねた。
 
1他の人は完全に間違っていた
2私と他の人の両方が間違っていないということが可能である
3あなたが間違っているということが可能で、他の人が正しいということも可能である
4その他
 
 Goodwin達は、②と③の質問を組み合わせて、客観性の程度を測定した。
 
ある信念は真か偽で
ある信念は単に意見で
対立する人は完全に間違っている
完全に客観的
第二の中間的に客観的
一方が間違っている必要はない
第一の中間的に客観的
最も客観的でない
 
④最後に、実験参加者に彼等の倫理的な立場を基礎づけるものについて尋ねた。
1.神の命令であるため
2.善い人がそうした信念を持っているため
3.そうした信念を持っていないと社会は存続しないため
4.信念が真であることが自明であるため
 
実験1の結果から分かったのは次のことである。
・倫理的言明の真理に関するメタ倫理学的判断は言明の内容に非常に影響を受けていた。
・言明のカテゴリーにおける客観性の程度は、事実的言明>倫理的言明>社会的な慣習の言明>好みの言明の順でより客観的であると考えられていた。
・④の1〜3に自分の立場を基礎づけた人々はそうでない人々よりもより客観的であったが、4(自明であるため)においてはそうではなかった。また基礎づけるものが多ければ多いほどより客観的な傾向があった。 

実験2

2つ目の実験は71人のプリンストン大学の学生が参加した。実験内容は実験1とほとんど同じだが、②言明が真であるか、偽であるか、単に意見であるかを尋ねる代わりに、「この言明を真にするかどうかについての正しい答えが存在するのか」について「はい」と「いいえ」の二件法で尋ねた。
質問を変更した理由は実験1の質問が認識論的な区別ではなく、言明の確からしさの程度を表しているという反論があったからである。
 
実験結果は実験1とほぼ同じ結果であった。
 

実験3

3つ目の実験は247人のプリンストン大学の学生が参加した。
この実験は26の言明ではなく、3つのシナリオ(寄付、アリバイ、中絶)について六件法で質問したことと宗教的な信念(神は存在するのか)と政治的な立場(リベラルか保守か)を追加で尋ねた点において異なっている。
 
実験結果は、宗教的な信念の強さは倫理的な客観性を予測したが、政治的な立場は倫理的な客観性と相関しなかった。
 

結論

 以上の3つの実験から、Goodwin達が言うには、
 
1つ目の主要な発見は、様々な倫理的な信念のメタ倫理学的な立場において、個人は特に一貫しているわけではなく、代わりに、問題となっている信念の内容に非常に影響されるということである。
 
2つ目の主要な発見は、倫理的な信念はほとんど科学的な、事実的な信念と同じくらい客観的に見なされ、そして明らかに社会的な慣習や好みよりも客観的に見なされたというものである。
 
3つ目の主要な発見は、個人が倫理的な体系を基礎づける仕方は彼等が倫理的な信念に関してどれだけ客観的であるかを予測したというものである。

とのこと。道徳がわりと客観的なものであると考えられているのは、意外な結果。

結構面白い研究だったので、他のメタ倫理学の心理学に関する研究も気になってきます。

 

ちなみに、この論文はKnobeとNicholsによる実験哲学の論文集にも収められています。

Experimental Philosophy: Volume 2

Experimental Philosophy: Volume 2