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道徳相対主義は道徳的行動を危うくするという研究(Rai, T. S., & Holyoak, K. J. 2013)

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今回紹介する論文では、人が道徳絶対主義/道徳相対主義であることは行動や意図にどのような効果を及ぼすのかについて調べられています。

 

Rai, T. S., & Holyoak, K. J. (2013). Exposure to moral relativism compromises moral behavior. Journal of Experimental Social Psychology, 49(6), 995–1001.

 

以前、道徳絶対主義的であると向社会的に行動する傾向があるという研究を紹介したのですが、今回の論文では、道徳相対主義的であるほど不道徳な行動をしてしまうのか?ということが問題となっています。

 

というわけで著者達は次の仮説を立てました。

道徳的な信念が主観的な好みではなく、普遍的に知覚されることや世界の状態に関する事実に由来することから来る動機付けの力に由来するとしたら、道徳相対主義に影響されることは人々を不道徳な行動に従事することへと至らせる。一方で、道徳絶対主義に影響されることは人々を不道徳な行為へと従事することを抑制する。この観点から、道徳的信念に絶対主義的になることはそれらに沿って行為する動機づけを増やす。一方で、道徳相対主義を含む固有の主観的な道徳はこの動機づけを減らし、そして不道徳な行動に従事する可能性を増やす。

 

実験1

120人が実験に参加した。

 

道徳相対主義の実験群には、「私達の持つ道徳的価値は主観的な意見であり、他の集団の人々に私達の道徳的価値を課すことはできない」と伝えた。

 

道徳絶対主義の実験群には、「いくらかの道徳的価値は客観的に正しいか不正であり、私達の道徳的価値を他の集団の人々に課すことが義務である」と伝えた。

 

その後、道徳絶対主義/道徳相対主義がいかなる影響を及ぼすかについて調べるために、実験参加者に賞金のプレゼントの機会を与えた。

賞金のチケットの数は2つの10面サイコロに基づいており、サイコロの目をかけ合わせた数が大きいほど引換券をもらうことができる、また、かけ合わせた数を記録するようにと伝えた。

ここでは、かけ合わせた数が実際の数よりも大きな数であると実験参加者が嘘を付くかどうかが問題となっています。

 

しかし、この方法だと実験参加者が実際にサイコロの数について嘘をついているのかどうかが分かりません。そのため、他の実験群よりも受け取っているチケットの数が多いかどうかで嘘をついているかどうかを調べています。

 

実験の結果、統制群と道徳客観主義の実験群よりも、道徳相対主義の実験群のほうが高いサイコロの目を記録していた。

 

実験2

実験1の結果に対して、著者たちの仮説とは別に2つの仮説が考えられる。

 

許容性の仮説(permissibility hypothesis) 

道徳相対主義的であることはより行動が許容されることを示しているという仮説。

 

同意性の仮説(agreeableness hypothesis)

相対主義の条件に読ませた記述は実験参加者が道徳的に不同意である立場を擁護しており、絶対主義者の条件に読ませた記述は既に同意している立場を擁護しているという仮説。

 

そこで、実験2では実験群を道徳絶対主義の許容バージョンと非許容バージョン、道徳相対主義の不同意バージョンと同意バージョンに分けた。

 

著者たちの仮説が正しければ、両方のバージョンの道徳相対主義の実験群のほうが道徳絶対主義よりも不道徳な行動に従事するだろう。

許容性の仮説が正しければ、道徳絶対主義の許容バージョンのほうが、道徳絶対主義の非許容バージョンよりも不道徳な行動に従事するだろう。

同意性の仮説が正しければ、相対主義の非同意バージョンのほうが、相対主義の同意バージョンよりも不道徳な行為に従事するだろう。

 

インターネットを通じて、320人が実験に参加した。

実験参加者にはそれぞれの道徳の定義を提示した後、次のことを尋ねた。

 

食料雑貨店で、いつも買う商品を見つけた。しかしその商品の値段が明らかに間違っていた。4ドルの代わりに、4セントとして記載されていた。

 

そして、誤った値段が記載された商品を4セントで買いたいかどうかの程度を7件法で尋ねた。

 

結果として、道徳絶対主義の実験群は道徳相対主義の実験群、統制群と比べて顕著に誤った記載の商品を買うことを支持しなかった。

そして、道徳絶対主義における許容バージョンと非許容バージョンの間では顕著な違いがなかったため、許容性の仮説は支持されなかった。

同様に、相対主義における同意バージョンと不同意バージョンの間にも顕著な違いがなかったため、同意性の仮説もまた支持されなかった。

 

1つ目の実験の結果を説明する仮説をさらに2つ考えて、2つ目の実験でそれぞれの仮説を検証するというの鮮やかでした。