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主に哲学・社会科学の文献紹介ブログ

サルキシャン et al.(2011)「素朴な道徳相対主義」

今回紹介する論文は、『実験哲学 第2巻』から、

Sarkissian, H., Park, J., Tien, D., Wright, J. C., & Knobe, J. (2011). Folk moral relativism.  In J. Knobe, & S. Nichols (Eds.). Experimental Philosophy Volume 2 (pp. 169–192). Oxford: Oxford University Press.

Experimental Philosophy: Volume 2

Experimental Philosophy: Volume 2

 

 

どんな論文?

たとえば、2377という数字が素数であるのかそうではないのかという問いについて、二人の人が言い争っているとき、2377は素数であるという事実によって一方が誤っていて、もう一方が正しいことが分かる。

でも、1月が冬なのか、それとも夏なのかという問いについて争っているときは、答えは住んでいる場所によって決まる。だから、両方の人が正しいということがありえる。

じゃあ、道徳的な問いについてはどうなのだろうか?一方の人だけが正しいのか、それとも両方とも正しいということがあるのか?ということが、この論文では問われている。

 

先行研究と比べてどこがすごいのか?

Nichols(2004)、Goodwin & Darley(2011)などによれば、多くの人は道徳的な問題について一方の人だけが正しいと考えている、つまり道徳客観主義者であることが分かっている。

しかし、著者たちは、人が道徳客観主義者であるという結果は実験の手続きによって引き出されたと主張する。

たとえば、季節について言い争っている二人の人がアメリカに住んでいる場合、1月が冬であるという問いには客観的な答えがあると人は考えるかもしれない。しかし、2人がアメリカとオーストラリアにそれぞれ住んでいる場合は、人はその答えについて相対主義的になるだろう。

別の例として、人はふつう「一日が24時間である」という問いが客観的に真であると考える。しかし、自転が24時間ではない別の惑星について考えたとしたらどうだろうか、答えを相対的なものとして考えるのではないか。

同じことが道徳的な問いについても言えるかもしれない。従来の実験では、人は道徳について客観主義的な直観を持っていることが分かってきた。しかし、このことから人が道徳客観主義者であると結論してしまうのは時期尚早であるかもしれない。

 

どんな実験をしたのか?

実験1では、同じ文化、他の文化、地球外生命体の3つの条件に分かれた。

実験では、次の2つの質問について、

1・ホーレスは、彼の一番下の子供が非常に魅力的でないことに気づき、それゆえ、彼を殺す

2・ディランは高価な新しいナイフを手に入れ、路上の通行人をランダムに刺すことでその切れ味を試す。

同じ文化の条件では、2つの質問について道徳的に不正であると考えるクラスメートと道徳的に許容されると考えるサムという大学生がおり、そのどちらか一方が間違っているもしくは両方とも正しいかについて7件法で尋ねた。

他の文化の条件では、サムの代わりにアマゾンの未開民族のマミロンズ、地球外生命体の条件では、宇宙における正五角形の数を増やそうとしているペンターズについて、クラスメートと彼らのどちらか一方が間違っている、もしくは両方とも正しいかについて尋ねた。

実験結果は?

データは分散分析で分析され、有意な差が見られた。

 

また、他の実験の結果は以下のとおり、

実験2 シンガポールの学生に同じ実験を行った場合も、有意な差が見られた。

実験3 同じ実験参加者に3つの条件を見せた場合も、有意な差が見られた。

実験4 行為者(ホーレス、ディラン)を同じ国である条件と違う国である条件にさらに分けた場合も判断者間(サム、マミロンズ、ペンターズ)では主効果があったが、行為者間では(ホーレス、ディラン)では主効果がなかった。

実験5 実験参加者は、非道徳的なケースでは客観主義者になる傾向があったが、道徳的なケースではより相対主義者となる傾向があった。

実験6 質問の意味の解釈について懸念があったが、実験参加者は真理と正当化について明確に区別していた。

実験結果から考えられることは?

著者たちは次のように結論しております。

今回の研究は、道徳が客観的か相対的かについて直観の複雑な素描を与えている。人々は明らかにあるケースでは客観主義的な直観を持つ。しかし、実験結果は、「人は道徳客観主義を支持している」のような単純な主張では人の道徳に関する見解を捉えることはできないことを示唆している。反対に、根本的に異なる文化や生活様式の個人を考えさせられたとき、人々の直観は著しく相対主義的になる。  

 

ちなみに、最近、私は倫理学の自然化に興味があるのですが、この論文の第1著者サルキシャンは「倫理学を自然化する」という論文をフラナガンとウォングと共に書いております。

 

フラナガンとウォングの著作

The Geography of Morals: Varieties of Moral Possibility

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Natural Moralities: A Defense of Pluralistic  Relativism (English Edition)

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