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なぜある道徳的信念は他のものより客観的であると考えられているのか?(Goodwin, G.P., and J.M. Darley. 2012)

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今回の紹介する論文は前回の記事の続編。

Goodwin, G. P., & Darley, J. M. (2012). Why are some moral beliefs perceived to be more objective than others? Journal of Experimental Social Psychology 48,, 250–256. 

 

前回、紹介した論文の発見の1つは、

1つ目の主要な発見は、様々な倫理的な信念のメタ倫理学的な立場において、個人は特に一貫しているわけではなく、代わりに、問題となっている信念の内容に非常に影響されるということである。

というものだった。

 そのため、今回紹介する論文では次のことが問われている。

 

1・道徳的信念の相違は知覚された道徳の客観性を予測するのか?

社会心理学の研究では、ネガティブな目的はポジティブな目的と比べてより重く見られ、またより注目を集めるという研究がある。(Baumeister, Bratslavsky, Finkenauer, & Vohs, 2001; Rozin & Royzman, 2001)。

そのため、著者達の第一の仮説は、ネガティブな不道徳的な行為に関する信念はポジティブな道徳的な行為に関する信念よりもより客観的に知覚されるというものである。

 

さらに2つの問いがこの論文で問われている。

2・知覚された道徳的な合意は知覚された道徳の客観性を予測するのか?

第二の仮説は、道徳的な信念の客観性における判断において、他の人々がその道徳的な信念を持つ傾向にあると考えるかどうかに、人は影響を受けるというものである。

 

3・客観的な道徳的な信念は、道徳的な不一致への閉鎖的な応答と関連があるのか?

ある哲学者によれば、道徳実在論者は道徳的な不一致により開放的であるという。なぜならもし道徳が存在するとしたら、解決すべき問題についての事実が存在し、またそうした情報には価値があるからだ(Snare, 1992)。しかし、著者達はその逆のほうが実際には真実でありそうだと考えた。

そのため、第3の仮説は、道徳的な信念を客観的であると知覚することは、道徳的な不一致に直面した時に、より閉鎖的な応答をすることと関連しているというものである。

実験1

実験には59人の大学生が参加した。

実験の第一段階では、

①最初に18個のシナリオについて同意か不同意かを6件法で尋ねた。

シナリオは以下の種類のものがある。

・道徳(ネガティブ) 

ipodをほしい男が財布を盗む話

・道徳(ポジティブ)

例 自分のお金を慈善団体に寄付する話

・道徳(人生の問題)

例 危篤の父の安楽死を手伝う話

・事実

ホモ・サピエンスは原始的な霊長類から進化したという話

・社会的慣習

例 ビジネスの会食で、ステーキを素手で食べる男の話

・好み

例 チョコレートアイスクリームはズッキーニよりもおいしいという話

 

②続いて、それぞれの言明を真にする正しい答えが存在すると思うかを6件法で尋ねた。(これは客観性を測定するための質問)

 

③そして、アメリカ国民の何%がそれぞれの言明に同意すると思うかを尋ねた。(これは第2の仮説のための質問)

 

実験の第二段階では、

④他の人々が実験参加者の意見に反対していたことを伝えた。そして、そのことについて実験参加者にどちらも間違っていないか、それとも他の人々が間違っているのかについて程度を6件法で尋ねた。(これも客観性を測定するための質問)

 

⑤最後に、実験参加者に同意しないルームメイトを持つことがどれだけ不快であるかを6件法で尋ねた。(これは第3の仮説のための質問)

 

実験の結果として、

・ネガティブな不道徳的な行為はポジティブな道徳的行為よりもより客観的に知覚されていた。

・知覚された道徳の客観性と知覚された合意の相関は非常に高かった。また言明に同意する程度と知覚された合意の相関も同様に高かった。

・道徳的なシナリオの得点に限って言えば、言明を客観的であると考えることと同意できないルームメイトを持つことの不快感には相関があった。また言明に同意する程度とルームメイトへの不快感の相関はいくぶん弱かった。

 

実験2

実験2の目的は合意を知覚することが客観性の知覚に因果的な影響を与えるかどうかを調べることである。

そのため、同じ大学の生徒がどれだけその言明を不道徳であると考えたかについて高いパーセンテージが記載された紙と低いパーセンテージが記載された紙を配ることによって、実験参加者が考える言明についての合意の程度を操作した。

 

実験結果から、知覚された合意は客観性の知覚に影響を与えることが分かった。

 

結論

以上のことから著者達は、

今回の研究では、人は異なる道徳的な信念を異なって客観的であると見なしていたことが示された。これらの違いは道徳的な信念のポジ-ネガ(valence)とどのようにそのような信念が社会的に表象されているのかの両方から生じていた。そして、それらは道徳的不一致への閉鎖的な応答と関連していた。

 と結論している。

 

道徳を客観的であると考えるほど、道徳的な不一致を不快に感じるというのは自分の実体験に当てはまるところがあるので、なるほどと思いました(一応、私は道徳実在論を支持しています)。

この論文では道徳実在論であることの負の側面が明らかになってしまったわけですが、私としては道徳を客観的に知覚することにどのような正の側面があるのかについて気になってくる次第です。